2014年 03月 30日

テスト投稿

写真アップの、投稿テスト
その2


センターの前の枝垂れ桑
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# by umic21 | 2014-03-30 10:25
2014年 03月 23日

センターの写真

センターからの風景。
ipadからアップします。

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# by umic21 | 2014-03-23 11:47
2013年 09月 30日

御岳堂散策道

「岩谷観音堂、御岳堂散策道と木曽義仲」ブログセミナー、取材の様子の続きです。

岩谷堂宝蔵寺でご住職さんのお話を伺った後、すぐそばにある御岳堂散策道を歩きました。
宝蔵寺が建っている場所の上の尾根伝いを歩くようなルートです。

崖葬
散策道の途中に崖葬の跡があります。遺体を敷石の上にさらす方法の埋葬所です。

石英脈と玉髄(崖葬のところにあります)
流紋岩の空洞や割れ目に熱水が入って形成される石英脈や玉髄(写真の白いすじ)です。石英脈の結晶が水晶です。

ビャクシン(イブキ)の木
ビャクシンは沿岸部にある木ですが、ここでは山の中で自生しています。

昔、この下から佐久方面(直線距離で20㎞)までは古小諸湖という大きな湖だったそうです。

金峰山(地図上の赤の地点)は城山(依田城)と呼ばれています。ふもとには居館跡であると考えられている宗龍寺(緑の地点)、御岳堂館跡(青い地点)、高築地地籍があります。
地図出典/「信濃の山城と館」著者:宮坂武男

宗龍寺は曹洞宗のお寺です。依田城の居館跡であると考えられています。

正海清水(写真左側の煙突のようなところ)
鎌倉街道沿いにある湧水で、依田氏の居城で生活用水として使ったり、武田信玄も汲んだといわれています。

東山道や信濃国分寺など軍事上重要な箇所を一望できる場所でもあり、木曽義仲が依田氏より譲り受けた館跡がこの反対側の上の方にあります。
鎌倉街道は現在このような道になっています。


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# by umic21 | 2013-09-30 16:04
2013年 09月 30日

岩谷堂観音宝蔵寺と木曽義仲

「岩谷観音堂、御岳堂散策道と木曽義仲」ブログセミナーで、上田市丸子にある、岩谷観音堂、御岳堂散策道と木曽義仲の史跡である正海清水を訪れました。

まず岩谷観音堂です。長い階段を上ります。


岩谷堂観音宝蔵寺は平安時代の初期、承和元年(834)年に慈覚大師円仁によって開かれました。聖観世音菩薩を安置しており、当初は「奥の院」と呼ばれている本堂裏の洞窟の中に安置されていましたが、徳川時代中期安永6年(1778)年に朱塗りの御堂が建立され、現在はそちらに安置されています。


 宝蔵寺のご住職から木曽義仲と上田市の関わりについてお話を伺いました。
 義仲は1154年、現在の埼玉県で生まれ、2歳の時に木曽の中原兼遠に引き取られました。25歳の時に依田城(現在の上田市丸子町)に来ます。木曽の兼遠と東信地方(長野県の南東部)を治めていた源氏の血を引く海野氏が親戚関係だったため、海野氏を頼ってきたと思われます。
 1181年、平家が越後より信濃に攻めてきた時、義仲がこれを横田河原(長野市)で迎え撃ち勝利を収めます。
 この時、平家を撃つべく、義仲の配下に東信地方と隣接する上州の武士を集め、丸子の依田城で挙兵をしました。こういったことから義仲にとって東信濃が重要な戦力であり根拠地であったと言えるでしょう。「源平盛衰記」や「平家物語」にも長瀬や依田の城という地名が出てくることからも義仲とこの地方の関係が分かります。

ご住職の話を聞く

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# by umic21 | 2013-09-30 15:14
2013年 09月 21日

上田市の紹介

まずは上田市の紹介です。


上田市は長野県の東部に位置する、人口約16万4千人のまちです。
北には菅平高原、南には美ヶ原高原があり、中央には千曲川が流れ、山と川に囲まれています。

歴史的には、およそ1200年前に信濃国分寺が建立され、信濃国で初めて国府が置かれた場所であると考えられています。
鎌倉時代には、市の西側の塩田平に信濃守護職の北条氏が住んでいたので、鎌倉文化の遺産が今も多く残っています。
そして戦国時代になると戦国武将の真田氏により上田城が築城され、現在の上田駅周辺に城下町が形成されました。
近代になると、蚕やその卵である蚕種の一大産地になりました。

現在は、工業部品などの生産をはじめとした産業、自然や歴史・文化遺産を活用した観光などを中心として、先祖から引き継いできた資産を生かした街づくりが行われています。
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# by umic21 | 2013-09-21 15:49


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