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2014年 03月 23日

センターの写真

センターからの風景。
ipadからアップします。

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# by umic21 | 2014-03-23 11:47
2013年 09月 30日

御岳堂散策道

「岩谷観音堂、御岳堂散策道と木曽義仲」ブログセミナー、取材の様子の続きです。

岩谷堂宝蔵寺でご住職さんのお話を伺った後、すぐそばにある御岳堂散策道を歩きました。
宝蔵寺が建っている場所の上の尾根伝いを歩くようなルートです。

崖葬
散策道の途中に崖葬の跡があります。遺体を敷石の上にさらす方法の埋葬所です。

石英脈と玉髄(崖葬のところにあります)
流紋岩の空洞や割れ目に熱水が入って形成される石英脈や玉髄(写真の白いすじ)です。石英脈の結晶が水晶です。

ビャクシン(イブキ)の木
ビャクシンは沿岸部にある木ですが、ここでは山の中で自生しています。

昔、この下から佐久方面(直線距離で20㎞)までは古小諸湖という大きな湖だったそうです。

金峰山(地図上の赤の地点)は城山(依田城)と呼ばれています。ふもとには居館跡であると考えられている宗龍寺(緑の地点)、御岳堂館跡(青い地点)、高築地地籍があります。
地図出典/「信濃の山城と館」著者:宮坂武男

宗龍寺は曹洞宗のお寺です。依田城の居館跡であると考えられています。

正海清水(写真左側の煙突のようなところ)
鎌倉街道沿いにある湧水で、依田氏の居城で生活用水として使ったり、武田信玄も汲んだといわれています。

東山道や信濃国分寺など軍事上重要な箇所を一望できる場所でもあり、木曽義仲が依田氏より譲り受けた館跡がこの反対側の上の方にあります。
鎌倉街道は現在このような道になっています。


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# by umic21 | 2013-09-30 16:04
2013年 09月 30日

岩谷堂観音宝蔵寺と木曽義仲

「岩谷観音堂、御岳堂散策道と木曽義仲」ブログセミナーで、上田市丸子にある、岩谷観音堂、御岳堂散策道と木曽義仲の史跡である正海清水を訪れました。

まず岩谷観音堂です。長い階段を上ります。


岩谷堂観音宝蔵寺は平安時代の初期、承和元年(834)年に慈覚大師円仁によって開かれました。聖観世音菩薩を安置しており、当初は「奥の院」と呼ばれている本堂裏の洞窟の中に安置されていましたが、徳川時代中期安永6年(1778)年に朱塗りの御堂が建立され、現在はそちらに安置されています。


 宝蔵寺のご住職から木曽義仲と上田市の関わりについてお話を伺いました。
 義仲は1154年、現在の埼玉県で生まれ、2歳の時に木曽の中原兼遠に引き取られました。25歳の時に依田城(現在の上田市丸子町)に来ます。木曽の兼遠と東信地方(長野県の南東部)を治めていた源氏の血を引く海野氏が親戚関係だったため、海野氏を頼ってきたと思われます。
 1181年、平家が越後より信濃に攻めてきた時、義仲がこれを横田河原(長野市)で迎え撃ち勝利を収めます。
 この時、平家を撃つべく、義仲の配下に東信地方と隣接する上州の武士を集め、丸子の依田城で挙兵をしました。こういったことから義仲にとって東信濃が重要な戦力であり根拠地であったと言えるでしょう。「源平盛衰記」や「平家物語」にも長瀬や依田の城という地名が出てくることからも義仲とこの地方の関係が分かります。

ご住職の話を聞く

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# by umic21 | 2013-09-30 15:14
2013年 09月 21日

上田市の紹介

まずは上田市の紹介です。


上田市は長野県の東部に位置する、人口約16万4千人のまちです。
北には菅平高原、南には美ヶ原高原があり、中央には千曲川が流れ、山と川に囲まれています。

歴史的には、およそ1200年前に信濃国分寺が建立され、信濃国で初めて国府が置かれた場所であると考えられています。
鎌倉時代には、市の西側の塩田平に信濃守護職の北条氏が住んでいたので、鎌倉文化の遺産が今も多く残っています。
そして戦国時代になると戦国武将の真田氏により上田城が築城され、現在の上田駅周辺に城下町が形成されました。
近代になると、蚕やその卵である蚕種の一大産地になりました。

現在は、工業部品などの生産をはじめとした産業、自然や歴史・文化遺産を活用した観光などを中心として、先祖から引き継いできた資産を生かした街づくりが行われています。
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# by umic21 | 2013-09-21 15:49
2013年 02月 28日

池波正太郎真田太平記館見学

2月21日にブログセミナー「真田太平記と真田太平記館」の一環として、池波正太郎真田太平記館に行ってきました。

「真田太平記」は池波正太郎によって昭和49年から9年間、週刊朝日に掲載された歴史小説で、
戦国時代から江戸時代までの日本の歴史の中で活躍する真田氏一族について書いています。
池波さんはこの取材のために上田を何度も訪れたそうで(私は読んだことがないのですが)、
小説の中にも真田氏ゆかりの地が色々と出てきます。また、「真田太平記」以外にも上田が登場するそうです。
そんな縁があって、真田氏の歴史や池波正太郎さんについて楽しく学べる「真田太平記館」が上田にあります。


施設としては、映像が見られる「シアター」、真田太平記の挿絵を描いた風間完さんの挿絵が展示
されている「ギャラリー」、2階の「池波正太郎コーナー」「真田太平記コーナー」、忍者について
からくり絵で紹介する「忍忍堂」、そして喫茶ル・パスタンがあります。

講座は、最初に指導員の土屋郁子さんによる「真田太平記」と池波正太郎の小説の特徴
についてのお話があり、そのあとシアターで映像を4本鑑賞し、真田氏の歴史や、小説に出てくる
上田ゆかりの地について勉強しました。その後、土屋さんに2階の展示と池波正太郎さんについて
解説をしていただきました。


<池波正太郎年譜>
作家の池波正太郎さんは大正12年(1923年)、浅草で生まれ、浅草、上野、銀座界隈で育ちました。
20歳で「婦人画報」朗読文学作品募集に入選するなど若いころからその才能を発揮し始めました。
劇作家の長谷川伸に師事して舞台の脚本を書いていましたが、長谷川の勧めにより1954年から
小説を執筆、「恩田木工(真田騒動)」から主に歴史小説・時代小説を書き始めます(なお「恩田木工」は
翌年、1956年下期の直木賞候補になりました)。
1960年、真田信幸が松代に移ってからを題材にした「錯乱」で上半期の直木賞を受賞。
そのあと「鬼平犯科帳」(1968年~)、「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」(1972年~)、そして1974年1月から
「真田太平記」を書き始め、9年間続きました。
吉川英治文学賞(1977年)、「大衆文学の神髄である新しいヒーローを創出し、現代の男の生き方を
時代小説の中に活写、読者の圧倒的支持を得た」として菊池寛賞を受賞(1988年)。
1990年に死去しました。

展示や土屋さんのお話についてはこの前とさらにその前の記事をご覧ください。
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# by umic21 | 2013-02-28 15:52 | 上田市の見どころ


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